東西統合

 1989年11月、ついに崩れたベルリンの壁、この時代の流れは誰にも止められなかった。ベルリンの壁崩壊から約1ヶ月後、アメリカとソ連は冷戦時代に幕を下ろした。アメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ議長がイタリアの南、無人島を含む五つの小さな島から成っているマルタ共和国で会談を行なった。アメリカとソ連はマルタ会談で冷戦終結の共同声明を発表したのである。この発表から翌年、ドイツ国民の念願であった東西ドイツがついに統合されたのである。
  東のカール・ツァイス・イエナ社と西のカール・ツァイス社では、ドイツ統合後の経営について話し合いを持つこととなった。この結果、2つのツァイスは再び1つのツァイスで歩んでいく道を選んだ。2つのツァイスの話し合いの中での取り決めには、このような内容も含まれていた。『財団の基本理念はハイデンハイム草稿に記載されている1896年のエルンスト・アッベによる財団定款である』これは、社会保障制度の先駆けとなったアッベの定款であった。
 過酷な労働を強要されていたツァイス社員らにとっても、大きな壁が崩れた瞬間でもあり、アッベの謳った労働条件をようやく取り戻した。”Made in West Germany”だったレンズの表記も”Made in Germany”に変わり、イエナとオーバーコッヘンの二人三脚にて前進を続け、現在の光学界の地位に至る。

 

 

 

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