西の寒村へ

 

 第二次世界大戦が終結しドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の四ヶ国により分割統治されることとなった。この戦勝四ヶ国の分割占領方式はヤルタ会談の時に決議されており、同時にツァイス社の不幸な運命も決まっていたようなものであった。
  カール・ツァイス財団のイエナの光学工場は、連合軍の空爆により甚大な被害を受けていた。戦争が終わるとアメリカ軍パットン大佐率いる第三軍が進駐していたがヤルタ協定によりアメリカ軍は1945年6月20日までにイエナを撤退し、その後ソ連軍が進駐することになっている。しかし、イエナの光学技術は世界屈指の水準にあり、光学兵器に直結する先端技術をソ連には渡せない。できれば工場ごと運び去ろうと考えたが撤退は数日後に迫っていた。 
  撤退二日前の夜、アメリカ軍は取締役のハインツ・キュッペンベンダーを含むツァイス首脳陣に命令書を突きつけた。We take the Brain ! (我々はツァイスの頭脳を狩る!) ツァイスの従業員は仰天し、主だった研究者と技術者(カール・ツァイス社85名、ショット社41名、合計126名)を有無を言わせず、家財一式をまとめさせトラックに積載した。積載の完了したトラックから順に移送を開始。安全に彼らを移送させるために極秘行動をとったため、ある時は屋根を登り、ある時はガタゴト道を走った。彼らはイエナより遥か西にあるアメリカ軍の新司令部、ハイデンハイム(アーレンとウルムの中間に位置する、オーバーコッヘンよりやや南にある山間の小さな町)に連行されたのであった。

 

 

 

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