Carl Zeiss って何?

 
 

 ズバリ、ドイツ人の一個人名です。現在のツァイス社の産みの親である。カール・ツァイスは1816年11月9日、ワイマール宮廷の旋盤工長の息子として生まれた。ツァイスは高校を卒業後、1934年よりイエナ大公の宮廷職工長であるケエルナー博士に師事する。当時、ケエルナーは望遠鏡レンズを製作することに夢中であり、レンズ素材に適した新種ガラスができるまで、寝る間を惜しんで精を出した。いつしか弟子のツァイスは、そんなケエルナーの情熱に刺激され、ガラス溶融とレンズ創りに惹かれてゆくのであった。 学問研究への情熱が高まるツァイスは大学の講義を聴講し、経験と勘だけでは理想のレンズは出来ないと考え、理論の必要性を痛感していた。それから7年間各地を巡り、物理、科学、機械について学んだ。この時出逢った植物細胞学の創始者、大学教授シュライデン博士の一言が運命を左右した。「生命のからくりが洞察できるような光学器械を創造することが、どの時代にもわたる人間の責務だ。ツァイス君、君が望むなら必要な援助をしよう。我々科学者が必要としている素晴らしい顕微鏡を作りなさい!」 この話に感化され、ツァイスは父から経営資本を借りて、イエナで工場作りに乗り出した。1846年に州より工場創設の認可が下り、この時ツァイスは30歳であった。この後、イエナ大学物理学者のエルンスト・アッベ教授に運命的に出逢い、お互い必要不可欠な存在となり、ツァイス史に大きく関与してゆく。
 現在、カール・ツァイスは社名(財団)でもありブランド名でもある。かつて傘下のツァイス・イコン社よりCONTAXカメラを販売していたが、現在のカメラ部門は光学レンズの供給のみとなっている。カール・ツァイス本人は現在のカール・ツァイス社の事業創始者であることはもちろん、光学研究に対するその熱心なスピリットが讃えられ、今でもそのスピリットが受け継がれたレンズに名を残しているのである。

 

 

 

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